2022年12月13日、東信州次世代産業振興協議会(長野県上田市)が主催し、産直新聞社が事務局を務める「東信州次世代農商工連携セミナー」の第5回が、「農業と観光の融合―新しい体験型農業の道を探る~」をテーマに開催されました。地域の農と食に関わる体験事業により地域振興を目指す2つの先進事例を紹介。このうちのひとつである伊那市長谷さんさん農園 代表 羽場友理枝さんの講演要旨を掲載します(まとめ・佐々木政史)。
故郷のためにUターン、農を通じて地域に活力を
まずは自己紹介からさせていただきます。私は長野県伊那市の「長谷」という地域の出身です。ここは南アルプス登山の玄関口にあたるエリアで、人口は約1600人、高齢化と人口減少が課題の典型的な中山間地域です。元々、長谷村という独立した村だったのですが、隣接する伊那市、高遠町と合併して今は伊那市の一地域となっています。合併当時、中学生だった私はとても衝撃を受けました。「過疎で人がいないと村がなくなるのだ、なんとか長谷地域のために貢献したい」と思い、和歌山大学観光学部の地域再生学科に進学、大学院でさらに学びを深めた後、新卒で箱根の美術館に就職しました。その後、観光の知識だけでは足りないと思い、東京で経理の仕事に就き実務的な知識を学んだ後、長谷にUターン。農と食を通じて地域振興を支援する株式会社産直新聞社を経て、現在、伊那市の集落支援員として、「長谷さんさん協議会(南アルプス山麓地域振興プロジェクト推進協議会)」の事務局、「長谷さんさん農園」の管理人を務めています。
このうち、長谷さんさん協議会は、農産物の有機・自然栽培を核とした都市農村交流を通じて長谷の地域振興を目指す団体で、地域住民など約40名が参加しています。今年で4年目を迎えますが、「地域農業」、「給食」、「6次産業化」、「ツアー」といった4つのテーマで取り組みを行ってきました。このうち、地域農業については、「農ある暮らし学び塾」という農作物の有機・自然栽培を座学と実践で学ぶ講座を行いました。座学は地元の伊那市だけでなく、東京にも出向き伊那市の倍となる約60人の参加者が集まり、大都市圏での農ある暮らしのニーズを肌で感じました。
有機農業塾を運営、移住者などの農ある暮らしを後押し
もう一つ、長谷さんさん協議会での大きな取り組みが、「長谷さんさん農園」です。これは、実際に参加メンバーで畑を共同管理しながら、実践的に農作物の有機・自然栽培を学ぶ場です。1年目は「チャレンジ圃場」という名称で、メンバーは長谷出身の20代・30代Uターン者3名から始めましたが、信州大学生や地元のお母さんに声を掛けて、1年目の終わりには54名に増えました。ただ、圃場はわずか5アールでしたので、耕地面積に比べてメンバーが多すぎて作業がすぐに終わってしまうという課題もありました。
2年目は「チャレンジ圃場」に、先ほどお話しさせていただいた「農あるくらし学び塾」の研修圃場を合わせて、「長谷さんさん農園」という名称に改めました。これにより圃場面積は17アールに拡大しました。しっかりした栽培技術を身に付けるために有機農家に講師を依頼し作付け図と作付け日程を組んでもらい、講師には月1回の受講者への指導と、スタッフへのLINEでのアドバイスをいただきました。メインスタッフは1年目の終わりには5名だったのですが、2年目は本業の仕事が忙しくなる人もでてきて2名に減りました。
3年目は圃場面積を27アールまで広げました。メインスタッフは2年目の終わりには1名に減りましたが、地域のお母さんに声を掛けて7名にまで増やしました。
そして4年目となる今年は、栽培にも次第に慣れ、土も肥えて作物の生育も良くなったことで、講師の手を離れて自分たちだけで運営できるようになりました。4年目の最大の変化は、会費をとって有料化したことです。なにしろ、補助金を受けないで運営することになったため、収益化を図る必要がでてきました。
共同圃場の年会費は1万円(料金は大人のみ)、月会費の場合は一回1000円としています。また、今年から27アールの圃場のうち5アールを新たに市民農園とし、ひと区画0.5アールで年間5000円を8区画貸し出しています。共同圃場の会員は大人16名、子ども11名。この他に、月ごとに単発での参加者は大人11名で、家族での参加者が多数です。特筆すべきは、ほとんどの会員が移住者であること。移住を機に農作業をはじめたいという人は多くいて、そのような人が基本的な知識とスキルを身に付けるために参加しています。
これまで4年間、長谷さんさん農園に取り組んできて、今後の目指すべき方向性として考えるのは、“農ある暮らしを実現するためのサポート”です。受講者に受講の理由をお聞きすると、ほとんどの人は「農を取り入れた暮らしがしたいから」と答えます。職業として食べていくためのプロの農家を目指しているわけではないのです。長谷地域の耕作放棄地が増えるなかで、当然、プロの農家が増えることはその大きな解決法になると思いますが、なかなか難しいのが実情です。一方で、職業としての農家ではなくても、地域において農に関わる人が増えれば、地域の農地や景観を守ることにつながります。
まずは、ファーストステップとして、長谷さんさん農園の共同圃場で他の会員と一緒に農作物づくりに親しんでいただき、次に市民農園を借りて自分だけで農作物をつくってみる、そして最終的には普段の暮らしに近い自宅や自宅付近で家庭菜園を営んでもらうーー。そのようないくつかの段階を踏んで、会員がそれぞれの農ある暮らしを実現していただければと思いますし、それを私たちがサポートしていきます。
大きな課題は収益化、道の駅との連携も検討
長谷さんさん農園の今後の課題のひとつは収益をいかに確保するかです。管理人である私の人件費は主に市の集落支援員としての給料で賄われており、任期が切れた時に人件費を賄うだけの収益をあげられるようにする必要性があります。
会費の金額設定も悩みのひとつです。首都圏からの移住者の中には年間5万円でも受講するというありがたい声もあります。「それならば値上げを」とも思うのですが、地元長谷地域の会員はその金額設定だと離れていく懸念もあります。地元の会員は将来的に長谷地域の農業の担い手になる可能性もありますので、難しいところです。
また、農作物の栽培面については、温暖化の影響を感じています。有機農業で安定した収量をあげるためには、虫による被害をいかに減らすことができるかが重要な要素です。しかし、最近は温暖化の影響で虫の動きを読みづらくなってきてきました。
今後の展開として、地元の道の駅「ファームはせ」との連携も検討しています。具体的には、長谷さんさん農園を道の駅の農業生産部門に組み入れるというものです。先ほど収益化に課題があると話しましたが、道の駅の一部門になれば私を含めたスタッフの収入の安定化につながります。一方で、道の駅は、生産者の高齢化による農産物不足問題の解決や有機農産物の販売拡大、道の駅利用者への農業体験サービスの提供に取り組みたいという狙いがあります。お互いにメリットがありますので、連携が実現すれば長谷地域の活性化につながるのではないかと思っています。
記者の目―職業でなく“楽しみとしての農”の推進に共感
私は今年3月に東京から伊那市に移住してきた。田舎暮らし=農家という安直な考えから、有機農家になるべく4カ月ほど研修をした。しかし、長年サラリーマンで農作業は経験程度、実家が農家でもない人間が、厳しい道で食べていく目途がつかず路線変更。今は東京での雑誌記者の経験を活かした仕事に就いている。
移住者のなかには私と同じように、「せっかく田舎に移住するなら農家」という先入観を持っている人が実はけっこう多い。都会に住んでいると、「プロの農家として食べていくことがいかに厳しいか」とか、「田舎でも農家以外の仕事が色々とあるのだ」ということが実感として分からないのだ。
しかし、移住者にとって田舎暮らしで農に関わる形態として“楽しみとしての農ある暮らし”という、プロ農家以外の選択肢があるということが都会でも当たり前に知られるようになれば、移住者が農に関わるハードルが低くなり、農を通じた楽しい田舎暮らしが実現できるのではないだろうか。
また、羽場さんも話しているが、移住者で農ある暮らしの実践者が増えれば、地域の耕作放棄地の解消や景観の維持にもつながる。移住者、地域住民双方で、“楽しみとしての農ある暮らし”の普及拡大で得られるメリットは大きそうだ。